桜と龍の乳母神「妙正」―語り継がれる伝説の物語
妙正寺に伝わる、桜と龍の乳母神「妙正(みょうしょう)」の伝説――
それは、この地に流れる清らかな気と人々の祈りが生んだ、美しくも神秘的な物語です。
このページでは、天井画「白龍神桜波図」にも描かれた妙正の由来や伝説、そしてその意味に込められた祈りをわかりやすくご紹介しています。
幻想的な世界に触れながら、妙正寺の奥深い歴史と信仰にふれてみてください。
🌸老女の約束 龍の慈悲 法華の守護🌸
🐉妙正寺の物語(縁起)🐉
妙正大明神詠歌
昔より約束なれば
いもはしか
病むとも死なじ
神垣の内
妙正寺縁起の妙正大明神は當山を中心に関東一円で、子どもを守る神さま・疫病から人々を守る神さまとして信仰されてきました。
その由来をお伝えしていきます。
日蓮聖人と老女
※日蓮聖人御一代記画譜
『若宮法華堂の布教』
鎌倉時代、この地域(現在の市川市若宮・中山周辺)の領主が日蓮聖人を自分の舘(現在の法華経寺)に招待し、百日間の説法をお願いしたのです。そして遠近より多くの人が百日百座の説法を聞きに集まりました。
その聴衆の中に一人の老女がいました。毎日毎日その老女は日蓮聖人の説法を聞きに通い詰めていました。しかし周りの人は誰もその老女がどこから来たのかを知りませんでした。
説法最後の日、老女は聖人に「子どもたちを必ず守る」と誓いを立てて約束し、法号(仏弟子としての名前)をつけてほしい、法華経八巻とお曼陀羅を授けてほしいと頼んできたのです。
聖人は子どもや人々を疫病から守るという老女の誓約を認め、妙正という名前を老女に与えました。
※板絵図:妙正大明神縁起
「妙正」の正体
※現在の妙正池
法号を授かった老女は聖人より与えられたお曼陀羅と経巻を持ちつつ、舘から東北に離れた池へと向かいました。不思議に思った村人は老女の跡をつけていったのです。
老女は途中途中で一巻ずつ、計七巻の経巻を置きながら道を進みました。
跡を追った人々が池につくと老女の姿は忽然と消えたのです。そして池のほとりに最後の経巻が置かれ、近くの桜にお曼陀羅が掛けてありました。
老女は池の龍神だったのです。老女の龍神は妙正大明神と崇拝され、池のほとりに妙正寺が開創されました。
子どもを守る神様・疫病からの守護神として妙正大明神は「乳母神」とも称されました。
※掛け軸:妙正大明神詠歌御姿絵図
『市川市文学サポーター協働企画展○○
○○ちょっとこわ~い市川ふしぎ話展』
市川市文学ミュージアム 寺宝出展
(平成28年12月10日~平成29年2月26日)
夢のお告げとあらたかな霊験
時は流れ江戸時代は第四代将軍治世の明暦年間、車方村(現在の船橋市車方町)で疫病が蔓延したのです。
村では多くの子供たちが亡くなり、その数は増える一方でした。なすすべなく村人が嘆き悲しむ中、村寺の僧侶が一心に村の除厄安全を祈ると霊夢を見ました。
※法井寺(ほうせいじ:船橋市車方町)板縁起書
『・・・右の縁にて法井寺、
本家龍経山妙正寺より分家せられたる尊神にして
今日に到れりて奉祀妙正尊神は・・・』とある
妙正大明神に祈り池の桜を削って霊符にすれば、疫病は退散し村は救われるとのお告げでした。
村人がすぐにお告げの通りにすると忽ち疫病は鎮まり、村に平穏が訪れました。
その後も近郷に疫病が蔓延するたび、桜の霊符を得て妙正大明神に祈ると忽ち疫病は鎮まりました。
こうして妙正寺は「桜之霊場」、池は「妙正池」、妙正大明神が道々に経巻を置いていった地は「七経塚」と称されるようになりました。
各地に勧請された妙正大明神
※巻物:妙正大明神縁起 / 櫻護符
『市川市文学サポーター協働企画展
ちょっとこわ~い市川ふしぎ話展』
妙正大明神は関東のみならず関西においても信仰されてました。聖徳太子建立七大寺の一つである大阪の四天王寺にかつて勧請されていたのです。
文化13年(1816)大阪で出版された『願懸重寳記』で、四天王寺に祀られている神仏のご利益について下記の通り紹介されています。
「同妙正大明神立願の事」
同寺内元三大師堂の前鏡の池の中に
鎭座まします妙正大明神は
疱瘡を輕く守らせ給ひ則御守は
同所妙見堂より出れバ
小児を持る親々ハかならず受をくべし
※七経塚石碑(駐車場に移設されています)
日蓮宗総本山の身延山と法華経守護の霊山である七面山をつなぐ、身延往還の途中にある宗説坊[早川町赤沢]にも祀られました。
現在は宗説坊周辺の崖崩れのため、近隣の妙福寺[早川町赤沢]に移動奉安されています。
ちなみに七面山発祥の七面大明神は妙正大明神と同じく龍の女神であり、かつては「日蓮聖人のご化導を先に受けてるから、妙正様は七面様の姉?弟子にあたる・・・」と妙正大明神の信者が言っていたとかいないとか・・・
※浮世絵 歌川 国芳
『高祖御一代略図 身延山七面神示現』
他にも日蓮宗・法華系統の寺院や、日蓮宗とは特に関係のない神社でも祀られています。
更に海外ではフランスの国立ギメ東洋美術館に、妙正大明神の尊像が所蔵されています。
残念なことに勧請されている神社仏閣を全て把握することはできませんが、疱瘡が如何に恐れられていたかがよく分かります。令和になってすぐのコロナ禍よりも切実な状況だったであろうことは、容易に想像できます。
妙正大明神はまさに病を癒やす桜と龍の乳母神であり、市川の地で発祥し各地で信仰されている守護神なのです。
以下に妙正大明神信仰の広がりを紹介します。
※静岡県静岡市葵区駒形通の感應寺のお札
※山梨県南部町万沢の一乗寺のお札
※千葉県市川市中山の正中山(法華経寺)の掛軸
※山梨県の身延山内で配布されたお札
※配布寺院不明の掛軸
台湾のサイトに掲載を確認:日本の植民地時代に信仰されていた可能性あり
上記以外で確認されている寺院
千葉県
法蓮寺 市川市大野町 圓實寺 匝瑳市木積
地蔵院 船橋市海神 常福寺 匝瑳市椿
妙興寺 千葉市若葉区野呂町 法福寺 匝瑳市飯高
妙伝寺 佐倉市臼井台 大正寺 長柄町千代丸
光明寺 多古町南並木 城徳寺 長柄町徳増
東京都
實相寺 墨田区東駒形
山梨県
延寿坊 身延町身延
静岡県
本能寺 静岡市清水区村松
法信寺 島田市松葉町
上記以外で確認されている神社
千葉県
白幡神社 市川市宮久保
大野天満宮 市川市大野町
八幡神社 〃
日枝神社 市川市大町
八幡神社 松戸市高塚新田
稲荷神社 松戸市主水新田
春日神社 松戸市秋山 【 妙正凹凹凹 】
根頭神社 鎌ケ谷市道野辺
鎌ケ谷八幡神社 鎌ケ谷市鎌ケ谷
安房神社 船橋市小野田町 【 妙勝大明神 】
須賀神社 船橋市神保町
意富比神社 船橋市米ヶ崎町 【 明照大明神 】
八王子神社 船橋市古和釜町 【 妙正大凹凹 】
駒形神社 船橋市丸山
熱田神社 船橋市旭町 【 明正大明神 】
神明社 船橋市高根町
神明神社 船橋市前貝塚町
八幡神社 〃
諏訪稲荷合殿神社 船橋市山手
日枝神社 船橋市夏見
稲荷神社 〃
御嶽神社 船橋市前原東
丹生神社 習志野市谷津
大日神社 白井市根
日枝神社 八千代市麦丸
菅原神社 八千代市下高野 【 妙照大明神 】
七百餘所神社 八千代市村上
根上神社 八千代市村上南
諏訪神社 千葉市花見川区長作町 【 妙正大明凹 】
十二社神社 千葉市花見川区天戸町
飯塚皇産霊神社 佐倉市飯塚
西御門神社 佐倉市西御門 【 妙瘡大明神 】
駒形神社 佐倉市内田 【 妙荘明神 】
熊野神社 佐倉市岩富 【 妙凹凹凹神 】
駒形神社 富里市久能
厳島神社 多古町東松崎
諏訪神社 匝瑳市小高
大宮神社 匝瑳市内山
高嶋天神社 市原市古市場
稲荷神社 市原市神埼
諏訪神社 市原市久々津
郷土史研究家の故綿貫啓一先生の[『房総の石仏』第三号抜刷 妙正大明神について-諸資料の紹介を中心に-]を参照し、ネットで拾い上げた情報や出仕した寺院で偶然発見したもの等を併せて載せました。
資料の中で石祠の銘文が妙正大明神と微妙に違うもの、削れて判読不能であると記されたものは【 】で囲んで表示しました。
他にも妙正大明神を勧請している、又はしていた寺院神社の情報をお知らせいただけると大変幸甚に存じます。
※妙正神社※
「妙正」を冠した神社は千葉県に3社あります。
祭神は妙正大明神と確認できていませんが、柏市の神社は疱瘡神の神社として信仰され、鬼子母神(法華経の守護神)が摂社に祀られていること等から、妙正大明神との関連が考えられます。
市原市や茂原市の神社も、法華信仰の篤い地域性を考慮すると妙正大明神との関連が推察されます。
他にも「妙正神社」の情報がありましたら、お知らせいただけると大変幸甚に存じます。
妙正神社 柏市西原
妙正神社 市原市新堀
妙正神社 茂原市法目
市川のむかし話 【 七経塚 】
市川市には【 七経塚 】という妙正寺にまつわるむかし話があります。
むかしむかし鎌倉時代のことです。
若宮にあるお寺の法華堂で、日蓮さんというえらいお坊さんが一〇〇日の説法をなさることになりました。
村の者はもちろんのこと遠くのほうからも、たくさんの人が日蓮さんの説法を聞きに集まってきました。
その中に一人の美しい女の人がまじっていました。色がぬけるように白く真っ黒な髪の毛で、その美しさはとくに目立ちました。どこのだれかということはだれも知りませんでした
一〇〇日の説法が終わった日のことです。女の人は日蓮さんの前に進み出ると、静かにお願いを申しあげました。
「お聖人さまのお書きになったおまんだらと法号をいただきとうございます。」
女から立ちのぼる異様な気を感じられた日蓮さんは、そばにあった花びんを取りあげるとバサッと水をかけたのです。
するといままでおだやかだった空に、ビューッと風が吹き黒雲が巻き起こりました。女は日蓮さんの経机の上に置いてあった八巻の経文をうばって逃げていきました。女は白蛇だったのです。
人々がそのあとを追いかけていくと、白蛇は途中で次々に経文を落としていきました。千足池のあたりまでくると、ふっと消えるように見えなくなりました。
あまりにも不思議なできごとに、人々はそこにすくみあがっていました。
するといままで静かだった池の水面が盛り上がり、ザバーッと水柱となって黒雲が立ちのぼりました。人々はおどろいて、その場所につっ立っていました。
そのとき一人が向こうを指さしました。
見ると、千足池の上につき出している桜の木の枝に、お経文がだらーりとかかっていたのです。
日蓮さんはあとでこの白蛇を弟子の一人に加えられ、「 妙正 」という法号をさずけてこの地にまつられました。
これがいまの市川市北方町の千足にある「 龍経山 妙正寺 」の起こりです。
そして経文が落とされた若宮には、一つずつ塚が建てられました。その経文が七巻だったので、この塚のことを「 七経塚 」というようになりました。
また、八巻目の経文がかけられた桜の木の皮をせんじて飲むと、ほうそう( 天然痘 )の熱さましに霊験( ききめ )があるといわれ、妙正寺は「 桜の霊場 」ともいわれています。
やがて人々は若宮から妙正寺までつづく蛇の逃げていった道を、「 蛇小路 」と呼ぶようになりました。
上記の話は市川民話の会編集発行の『市川のむかし話』から抜粋したものです。
少々派手な内容になっていますが、面白おかしく誇張して伝えられるのはむかし話の特徴です。
寺伝の縁起と民間のむかし話を比べるのも面白いものです。
姥山貝塚 / 千足
寺伝の「 乳母神 」はむかし話では「 姥神 」と伝えられ、妙正寺の近所にある姥山貝塚の地名とも関わっているといわれています。
また寺伝の「 妙正池 」はむかし話では「 千足池 」となっています。「 千足 」とは妙正寺を中心とした場所の昔の名称で、今では「 千足町会 」と「 千足会館 」、バス停の「 千足 」、妙正寺の「 千足池=妙正池 」等、わずかにその名残があるだけです。
日蓮聖人の百日百座説法の場、現在の法華経寺または奥之院から千歩の場所、それが「 千足 」の由来です。
もちろん象徴としての千歩であって実際のものではありません。
妙正大明神のご利益
老女の約束 龍の慈悲 法華の守護
児童守護/発育円満
疫病退散/當病平癒
畜生成仏/ペット成仏
日蓮聖人に「未来の子らを守る」と約束し、疫病からの守護を誓った老女。
その正体は千足池(妙正池)に棲んでいた桜の龍神さまです。
龍はあらゆる生き物の王である「霊獣」でもあり、その慈悲は人間のみならず、大切な動物(ペット)たちにも等しく注がれています。


