桜と龍の女神「妙正」の伝説

妙正寺の物語(縁起)

妙正大明神詠歌
昔より 約束なれば いもはしか 病むとも死なじ 神垣の内

 

妙正寺縁起の妙正大明神は當山を中心に関東一円で、子どもを守る神さま・疫病から人々を守る神さまとして信仰されてきました。

その由来をお伝えしていきます。

日蓮聖人と老女

※日蓮聖人御一代記画譜
『若宮法華堂の布教』

 

鎌倉時代、この地域(現在の市川市若宮・中山周辺)の領主が日蓮聖人を自分の舘(現在の法華経寺)に招待し、100日間の説法をお願いしたのです。そして遠近より多くの人が100日説法を聞きに集まりました。

 

その聴衆の中に一人の老女がいました。毎日毎日その老女は日蓮聖人の説法を聞きに通い詰めていました。しかし周りの人は誰もその老女がどこから来たのかを知りませんでした。

 

説法最後の日、老女は聖人に 子どもたちを必ず守る と誓いを立てて約束し、法号(仏弟子としての名前)をつけてほしい、法華経8巻とお曼陀羅を授けてほしいと頼んできたのです。

 

聖人は子どもや人々を疫病から守るという老女の誓約を認め、妙正という名前を老女に与えました。

 

※板絵図:妙正大明神縁起

「妙正」の正体

※現在の妙正池

法号を授かった老女は聖人より与えられたお曼陀羅と経巻を持ちつつ、舘から東北に離れた池へと向かいました。不思議に思った村人は老女の跡をつけていきました

 

老女は途中途中で1巻ずつ計7巻の経巻を置きながら道を進みました。

 

跡を追った人々が池につくと老女の姿は忽然と消えたのです。そして池のほとりに最後の経巻が置かれ、近くの桜にお曼陀羅が掛けてありました。

 

老女は池の龍神だったのです。老女の龍神は妙正大明神と崇拝され、池のほとりに妙正寺が開創されました。

 

子どもを守る神様・疫病からの守護神として妙正大明神は「乳母神」とも称されました。

 

※掛け軸:妙正大明神詠歌御姿絵図
『市川市文学サポーター協働企画展○○
○○ちょっとこわ~い市川ふしぎ話展』
市川市文学ミュージアム 寺宝出展
(平成28年12月10日~平成29年2月26日)

 

夢のお告げとあらたかな霊験

時は流れ江戸時代は第4代将軍治世の明暦年間、車方村(現在の船橋市車方町)で疫病が蔓延したのです。

 

村では多くの子供たちが亡くなり、その数は増える一方でした。なすすべなく村人が嘆き悲しむ中、村寺の僧侶が一心に村の除厄安全を祈ると霊夢を見ました。

※法井寺(ほうせいじ:船橋市車方町)板縁起書
『・・・右の縁にて法井寺、
本家龍経山妙正寺より分家せられたる尊神にして
今日に到れりて奉祀妙正尊神は・・・』とある

 

妙正大明神に祈り池の桜を削って霊符にすれば、疫病は退散し村は救われるとのお告げでした。

村人がすぐにお告げの通りにすると忽ち疫病は鎮まり、村に平穏が訪れました。

 

その後も近郷に疫病が蔓延するたび、桜の霊符を得て妙正大明神に祈ると忽ち疫病は鎮まりました。

 

こうして妙正寺は「桜之霊場」、池は「妙正池」、妙正大明神が道々に経巻を置いていった地は「七経塚」と称されるようになりました。

各地に勧請された妙正大明神

※巻物:妙正大明神縁起 / 櫻護符
『市川市文学サポーター協働企画展 
 ちょっとこわ~い市川ふしぎ話展』

 

妙正大明神は関東のみならず関西においても信仰されました。聖徳太子建立七大寺の一つである大阪の四天王寺にかつて勧請されていたのです。

 

文化13年(1816)大阪で出版された『神社仏閣願懸重宝記』で、四天王寺に祀られている神仏のご利益について下記の通り紹介されています。

「同妙正大明神立願の事」
同寺内元三大師堂の前鏡の池の中に
鎭座まします妙正大明神は
疸瘡を輕く守らせ給ひ則御守は
同所妙見堂より出れバ
小児を持る親々ハかならず受をくべし

 

※七経塚石碑(駐車場に移設されています)

 

日蓮宗総本山の身延山と法華経守護の霊山である七面山をつなぐ、身延往還の途中にある宗説坊にも祀られました。
〔現在は宗説坊周辺の崖崩れのため、近隣の妙福寺に移動奉安されている。〕

 

ちなみに七面山発祥の七面大明神は妙正大明神と同じく龍の女神であり、かつては「日蓮聖人のご化導を先に受けてるから、妙正様は七面様の姉?弟子にあたる・・・」と妙正大明神の信者が言っていたとかいないとか・・・

※浮世絵  歌川 国芳
『高祖御一代略図  身延山七面神示現』

 

他にも日蓮宗・法華系統の寺院や、日蓮宗とは特に関係のない神社でも祀られています。

 

更に海外ではフランスの国立ギメ東洋美術館に、妙正大明神の尊像が所蔵されています。

 

残念ながら勧請されている神社仏閣を全て把握することはできませんが、疱瘡が如何に恐れられていたかがよく分かります。令和になってすぐのコロナ禍よりも切実な状況だったであろうことは、容易に想像できます。

 

妙正大明神はまさに病を癒やす桜と龍の女神なのです。